奨励

「愛」と「恋愛」


奨励 佐伯 順子〔さえき・じゅんこ〕
奨励者紹介 同志社大学社会学部教授
研究テーマ 映画、文学など日本近現代の活字、視聴覚メディアの描く女性、男性像

 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない。いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

(コリント人への第一の手紙 一三章四-七節[口語訳])

 イエスは言われた。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」

(マタイによる福音書 二二章三七-三九節[口語訳])


「愛」とは何なのか

 皆様こんばんは。四月から新しくなりました社会学部メディア学科の佐伯と申します。よろしくお願い申しあげます。

 こうしたチャペル・アワーで話をさせていただくということは、私にとりましてとても懐かしく感慨深いものがございます。というのも、中学校時代、ミッション・スクールで礼拝がありましたとき、生徒が話す時間で一度話をする機会がございました。それ以来ほぼ三十年もの月日がすぎ、またこのような機会をいただいたことを、思いがけず、また、光栄にありがたく思っております。

 その私が通っておりましたミッション・スクールのモットーは、「愛神愛隣」というものでございました。つまり、「神を愛し、人を愛する」ということで、さきほど読んでいただきました、マタイによる福音書の第二二章三七節~三九節に由来するものでございます。つまり、人間にとって最も大切な戒めとは、神を愛することと、隣人を愛することだということです。毎朝礼拝をする講堂の正面に、この「愛神愛隣」という言葉が掲げられており、十代はじめの私はそれを見るたびに強い印象を受けました。「愛」とは何なのか。何かとても美しい、すばらしいものであり、憧れの気持ちが素直に浮かびました。一方で、それを実践することの難しさ、あるいは、どこかきれいごとにも聞こえかねない違和感のようなものをも同時に感じておりました。この、子ども時代に抱いた、「愛」という言葉に対する、何ともいえない複雑な感覚の正体を知りたいという思いが、後に大学院で、明治文学における愛の概念について研究する原点になりました。

 もちろん私自身、いまだに愛の何たるかを理解しているなどとはとても申せませんが、本日は現時点における私なりの考えをおりまぜながら、皆様と愛というものについて改めて考えていきたいと思っております。

新しい時代の人間の理想の表現として

 この「愛」という言葉は、現代の日本語のなかで、テレビ・ドラマのタイトルや、商品の宣伝広告、あるいは若者の好むJポップといわれる歌の歌詞など、さまざまな形で、さまざまなメディアのなかで、盛んに使われています。あまりにも当たり前のように使われているので、この言葉が昔からあったように勘違いしている人も多いかもしれません。しかし、この言葉が今のように、人間の理想の境地をあらわすようになったのは、実は明治の文明開化以降のことでした。

 江戸時代以前の日本では、「愛」という言葉が今のような意味で、人間関係の理想として一般的に使われることはありませんでした。むしろ、「愛着(あいちゃく)の道」などという仏教的な文脈のなかで、どちらかというと現世的欲望への執着など、マイナスのニュアンスを帯びていました。では、現代の「愛」に近い言葉としては、どのようなものがあったのでしょうか。男女、あるいは同性間の好意、"好き"という感情を表現するには「色」や「恋」という言葉がありました。また、主君と家臣や、親や兄弟が相手を大切に思う気持ちは、主に「情」と表現されていました。しかし、「色」や「恋」という言葉は、「好色」や「色好み」という言葉でイメージされるように、ともすれば肉体的関係に傾いた、非道徳的なニュアンスを帯びてしまいます。また、「情」という言葉には、「情をかける」という表現に見られるように、目上から目下へという上下関係が入り込みがちです。そこで、明治という「文明開化」の時代の知識人、なかでもキリスト教主義の知識人たちは、「愛」という新しい言葉で、新しい時代の新しい人間の理想を表現しようとしました。身分の違いや、女性、男性といった性の差を越えて、あらゆる人間が、対等な関係で相手とかわすことができる感情、自分と同じように他者を大切にする感情、それを、明治のキリスト者たちは『聖書』の教えにもとづいて「愛」と表現しました。この言葉を使い始めた明治の初期、日本人にはあまりなじみのない言葉であったために、一体何を意味するのかわからず笑われてしまったという当時の回想も残されています。しかし、日本を近代化し、新しい理想を普及しようとする情熱に燃えたキリスト者たちの努力が実り、明治三十年代には、新聞連載小説や雑誌記事などのメディアのなかで、「愛」という言葉が今と同じような自然な形で使われるようになります。

 一世を風靡した新聞連載小説の『金色夜叉』で尾崎紅葉は、「夫婦の愛こそが人間の幸せの最大の源である」と主人公の貫一に言わせています。また、それ以前に、明治の女性啓蒙に大きな役割を果たした『女学雑誌』では、創刊まもない明治十八年の第二号に、人間の社会が「野蛮」から「文明」に進化するにつれて、女性と男性の関係もまた「真実の愛」へと進化するのだ、と論じました。そして「愛」とは、「霊魂」より発するものであると説いています。「霊魂」という言い回しに、キリスト教の信仰の強い影響が感じられます。

 同志社の創立者である新島襄ももちろん、この「愛」を重視しています。一八八六年(明治十九年)五月三十日、分校を建設するために仙台に赴いた際、四十三歳の新島は、キリスト教とは何ぞやと問われたら、「答テ曰ハン、愛以貫之」と述べたといわれています。この言葉を記した新島の書も残されています。そして、かつての日本には神の愛という教えがなかったので、とかく狭い偏った愛のみが行われていた。キリストのように「広く、深く、高い愛」を求めねばならない、と説いています。新島がこのお説教を行った明治十九年は、『女学雑誌』が「愛」を説いた時期にも近く、また、キリスト教徒ではありませんが、坪内逍遥が『当世書生気質』(明治十八-十九年)で書生の「愛(ラブ)」を描き、二葉亭四迷が近代文学の先駆けと言われる『浮雲』(明治二十年)で「愛」に悩む青年文三を描いた時期にも相前後しています。

 このように、最初はキリスト者を中心に使われていた「愛」という言葉は、文学者の間にも共有され、やがて尾崎紅葉など、キリスト者ではない人びとの間でも盛んに使われるようになり、新聞連載小説などを通じて、日本の社会に普及していきました。恋をする男女や血縁で結ばれた親類縁者のみならず、あらゆる人びとが広く分かち合える、相手を思いやる感情として、男女平等思想や四民平等の思想とともに、「愛」という言葉は明治の日本に広まっていったのです。

「愛」と「恋愛」との違い

 ところが、ここにひとつの罠がありました。「愛」は英語のloveの翻訳語としても使われましたが、ただ「愛」といった場合は、男女の愛や家族の愛、さまざまな人間関係を含んでおります。そこで、江戸時代に主に「色」という言葉で表現されていた、いわゆる"惚れたはれた"というニュアンスを含む人間関係を表現する場合、江戸時代以前にもあった「恋」という言葉と結合させて、「恋愛」という言葉が使われるようになりました。これも、明治になって新しく使われ始めた言葉でした。ところが、「恋愛」と「愛」は区別がつきにくく、場合によって混同されてしまうことがあります。その悪い例を、同じ明治のキリスト者である北村透谷にみることができると思います。「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり」(「厭世詩家と女性」明治二十五年)という有名な言葉を残し、日本の社会に「恋愛」という言葉を普及させることに大いに貢献した北村透谷でしたが、彼が理想としたのはあくまでも「恋愛」であり、「愛」ではありませんでした。彼は「恋愛」を賛美すると同時に、結婚生活は詩人の理想を幻滅させるものだ、とも言っています。「恋愛」は恋の情熱にうかれていればそれでよいかもしれませんが、「愛」はそのような甘いものではないでしょう。ときには苦難に立ち向かい、お互いの意見の相違や葛藤を乗り越えてなお、絆を確かめる必要もできるでしょう。しかし、透谷のいう「恋愛」は、他者との関係性のなかで育まれる「愛」ではなく、詩人の目から美化された世界にすぎませんでした。現実生活に立ち向かう覚悟と、結婚後の妻への思いやりは、彼には欠如しておりました。結婚生活は詩人を幻滅させる、といったとおり、妻ミナとの生活は破綻し、彼自身も最後には自滅してしまいます。

 この透谷の悲劇は、現代の日本人にとっても決して他人事ではないような気がいたします。「愛」には聖書が説くような、神の愛をしるべとするアガペーと、情熱愛としてのエロースという二つの側面がございます。透谷はエロースに傾き、その限界を身をもって悟りました。一方、現代の日本では、昨年は特定の恋愛小説や恋愛ドラマに人気が出て"純愛ブーム"などといわれました。しかし、現代の小説やドラマに言われる"純愛"は、アガペーではなくむしろエロースに近いように思われます。相手への情熱が重視され、ともすれば現実生活をおきざりにした夢やファンタジーの世界に陥っている。それは、自分の夢を満たすだけで、『聖書』が説く理想の「愛」にはむしろ逆行しているような危険を感じてしまいます。「恋愛」と「愛」を安易に混同することは、下手をすると自己中心的な現実逃避につながってしまいます。純愛ドラマに涙したり感動したりしたりする人びとは、北村透谷のように、自己満足的なファンタジーにひたっているだけではないでしょうか。

隣人への「愛」があったならば・・・

 また、先月のいたましい事故では、私の所属するメディア学科の新入生をはじめ、本学の学生さんを含む多くの尊い命が失われました。新聞、テレビなどのメディアでも、安全よりも利益を考える企業の体質というものが問題になりました。そこに欠けていたものも、つきつめれば「愛」だったのではないでしょうか。

 マタイによる福音書は、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」、と教えております。自分と同じように他者を思いやる心、たとえば、電車を運転する側ではなく、乗客という他者の身になって考えること、すなわち、乗客への「愛」があったならば、事故は未然に防げたかもしれません。あるいは、命を失われたり、負傷されたりした方々の体と心の痛み、ご遺族の方々の悲しみ、苦しみを、自分のもののようにとらえること、自分を愛するように隣人を「愛」する心があったならば、事故を知りながらも娯楽活動をするなどということができるわけがないのです。一方で、事故の当事者でも親類縁者でもない地域の方々が、会社の仕事を休んでまで、救助活動にあたられたということも報道されました。自分の仕事を優先させることなく、苦しんでいる方々を目のあたりにして、無心で救助にあたられた、この方々の心こそ、まさに「隣人愛」というにふさわしいものでありましょう。隣人の痛み、苦しみを、我がもののようにとらえることができる心こそが、まさに「愛」なのでしょう。この痛ましい事故は、私たちに、「愛」を失うことの恐ろしさ、逆に「愛」を実践することの尊さを、同時に伝えてくれたような気がいたします。先日、事故現場へのお供えのなかに「愛」という言葉を記した紙があり、それがテレビで大写しになったのは、その意味で大変印象深いものでした。

聖書の説く「愛」の理想

 最初にも申しましたように、現代のメディアのなかには、「愛」という言葉が満ち溢れております。テレビのCM、映画のタイトル、本の題名など、活字、視聴覚メディアを通じて、過剰なほどこの言葉が使われております。しかし、メディアに携わるどれほどの人びとが、その本来の意味を意識して使っているのでしょうか。北村透谷のように、身勝手な憧れとしての「恋愛」と、他者への思いやりとしての「愛」をはき違え、「愛」という言葉を安売りしてしまってはいないでしょうか。さきほど読んでいただいた『聖書』の後半の言葉、コリント人への手紙の一節は、明治時代にキリスト者が中心になって普及した「愛」という言葉の本来の理想が、端的に語られていると思います。現代の日本人が「愛」という言葉を使うとき、『聖書』の言葉をいちいち意識する場合はほとんど無いでしょう。しかし、殺伐とした犯罪や事故の多いこのごろ、今ほど切実に、『聖書』の説く「愛」という言葉の原点を思い出すことが必要とされている時代はないような気がいたします。ビデオやインターネットの普及によって、平面のなかで生と死というものが語られすぎているがゆえに、われわれの時代は、現実の他者の命の貴さや、痛み、苦しみに思いをいたすことに鈍感になってしまっているのではないでしょうか。

 このようなことを申しております私自身、日常生活で理想的な「愛」を実践しているなどというおこがましいことはとても申すことはできません。さきほどの新島のお説教のなかには、キリストのような広く深く高い「愛」は、キリストだからこそ実践できるのであって、人間には難しいのではないか、という一学生の言葉も含まれています。確かに人間は未熟なものであり、完全な「愛」を実践できるなどということは傲慢なのかもしれません。しかし、私自身も反省しつつ、現代のメディアにあふれているような軽薄な商業主義的な「愛」ではなく、『聖書』の説くような「愛」に少しでも近づくことができるように、そして社会全体も、そうした「愛」に溢れたものになりますように、このたび亡くなられた方々への思いをいたしつつ、ここに祈りたいと思います。ありがとうございました。

二〇〇五年五月十七日 火曜チャペル・アワー「奨励」記録


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