奨励

ミステリアス・ハンド

奨励 野本 真也〔のもと・しんや〕
奨励者紹介 同志社理事長
日本キリスト教団正教師

主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。

どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

(詩編 一三九編一-一〇節)

新島襄の祝祷の言葉

一八七九(明治十二)年六月十二日午前十時から、同志社英学校の第一回卒業式が行われ、十五名に卒業証書が授与されました。その卒業式の終わりに、新島襄は「Go, go, go in peace. Be strong! Mysterious Hand guide you!」と力強く叫んで卒業生の前途を祝福した、と『同志社百年史』は記しています。(通史編一 111頁)
ところが、最近、この英文とは異なって、Mysterious Handに不定冠詞のAを付けたり、guideにwillを付けてwill guideとしているのを見かけるようになりました。たとえば、寒梅館のハーディーホールの背後の壁面には、そう刻まれています。
新島襄の時代にはもちろんテープレコーダーはありませんでしたから、その卒業式に列席していた人びとの記憶にもとづく記録に頼るほかはありません。『同志社百年史』を書かれた先生方がどのような資料にもとづいて、このように確定されたのか存じあげませんけれども、私はやはり『同志社百年史』の英文が正しいのではないかと思います。
そのいちばんの理由は、これが礼拝形式で行われた卒業式の最後の祝福の言葉として語られたということです。このときの式次第には書かれていませんが、新島襄はベネディクション(祝祷)として語ったにちがいありません。祝福の言葉ですから、willは不適切ですし、God bless you!というときと同じで、感嘆文で祈願や願望を表すMayという助動詞が省略されていると考えられます。ですから、guideには三人称単数形のsが付いていないのです。またMysterious HandはGodの比喩的表現ですから、不定冠詞も不要でしょう。
祝祷の言葉は、ふつう聖書のなかの表現が用いられます。Go in peaceは、聖書のなかに何回も出てきます。たとえば、旧約聖書では士師記一八章一六節で祭司が「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と言っています。また、イエス・キリストは病気に悩む女性に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と語っています。Be strongも、聖書に何回も出てきます。たとえば、モーセは遺言のなかでイスラエルの民に、「強く(あれ)、また雄々しくあれ。恐れてはならない。・・・あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」(申命記三一章六節)と語りましたし、パウロも「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」(エフェソの信徒への手紙六章一〇節)と励ましの言葉を語っているのです。
では、Mysterious Handはどうか。これは聖書には見当たりません。では、なぜ新島はこの表現を使ったのでしょうか。アメリカに留学しているときに学校の礼拝や講義で知ったのか、教会で知ったのか、それとも新島のオリジナルの表現なのか、調べてみると面白いテーマだと思います。しかし、私は、新島がこの表現を使ったにちがいないと思うのです。というのは、新島が一八八四(明治十七)年六月二十七日、卒業しようとしている同志社普通神学両課卒業生に宛ててイタリアから書き送った手紙のなかに「嗚呼余は今他郷の客となりて身は千里の外にあるも心ハ諸君と共にありて絶へず諸君の為に祈祷して止まざるなり、諸君や必ず神妙の巧手に導かるるならん」とあるからです。「諸君や必ず神妙の巧手に導かるるならん」、これはまさにMysterious Hand guide you!の日本語訳ではないでしょうか。

神の手による導きに対する信仰

新島は、神の手による導きに対する強い信仰をもっていました。新島は、この信仰をいつ与えられたのでしょうか。なんと、脱国する前に聖書に関する本を読んだときです。新島はこう書いています。「中国語で書かれたこの短い聖書の歴史の中で、神の宇宙創造に関する単純な物語を読んだ時ほど、創造者という言葉が胸にひびいたことはなかった。私たちが生きているこの世界は、神の見えない御手によって創造されたのであって(created by his unseen hand)、単なる偶然の産物ではないことを私は知った」。(『新島襄全集10』三七頁)
また函館でひそかにベルリン号に乗り込んだときの不安と恐怖のなかで、「私の決心を支えたのは、the unseen hand would not fail to guide meという考えだった」とも書いています。(『新島襄全集7』二五頁)
もちろん、これらは新島の後年の回想ですから、自分の人生を振り返ってのことかもしれません。しかし、神の御手への信仰は、たとえば一八七一年十一月七日付のスーザン夫人に宛てた手紙のなかで、「わたしの未来のすべてを無限から無限にいたる宇宙のすべての出来事を見ておられる神の御手にゆだねます」と書き送っていますし、例を挙げるときりがないほどです。
新島はUnseen Handという表現を日本語でも使っています。明治十五年六月二十五日、京都第二公会で行われた説教のなかで、「ヤコブの一身上の苦労や艱難などは人為によって生ずるといえども、神はまた見るべからざるの手をもってこれを誘導し、しばしば困難に陥らしめ、しばし苦労を嘗めさせ、神を思い神に依り頼む思いを切ならしめ、しかる後、これを救いあげ、その信仰を増し、その心を洗い・・・」と述べています。(『新島襄全集2』六八頁)
卒業生の村井知至の記憶によれば、新島が二度目の渡米に際し、学生たちに別れの演説をしたとき、「わたしの一生はアンシーン・ハンド(Unseen Hand)に導かれ今日に至っている。今後もわたしはこのアンシーン・ハンドの導くがままに行くべきところに行くのである。今わたしがこの別れに臨んで諸君に願っておきたいことは、わたしが万一この務めを終らないうちに、もし天に召される時が来た場合、わたしが心の底から『神よ、われ、わが意のままをなすにあらず、ただみこころのままになし給え』と祈り得るよう、何とぞわたしのために祈ってくれ給え。今、諸君に願うところは、ただこの一事である」と語りました。(「みこころのままに」『新島先生記念集』同志社校友会 昭和十五年 一六一頁)

神の手とは

そのような印象が強かったからでしょうか。『新島先生言行録』では、第一回卒業式のときの祝福の言葉が、「行け矣、行け矣、憚らずして行け矣、見えざる手ありて慥に汝を助くべし」と、「見えざる手」であったと伝えられているのです。(徳富猪一郎序文・小崎弘道校閲・石塚正治編纂 警醒社 明治二十四年 二一頁)
「見えざる手」というのは、日本ではアダム・スミスが『国富論』のなかで使った「invisible hand」の訳語として経済学のなかで使われ、今でも論争の絶えない問題です。しかし、「見えざる手」という表現そのものは、アダム・スミスが最初に使ったわけではありませんし、それまでにもいろいろな意味で使われています。すでにシェークスピアも戯曲「マクベス」のなかで使っていますし、さらに調べてみますと、古代の神学者アウグスティヌスも、「神の手とは、見えない仕方で働きながら、見える結果をもたらす神の力のことである」と、『神の国』(XII-23)のなかで述べているのです。
たしかに、手というのは、聖書の言語・ヘブライ語では「力」という意味をもっています。手という単語は、聖書のヘブライ語を習い始めますと、すぐに出てくるのですが、ヤドと言います。しかし辞書を引くと、手という訳語とともに、「力」という訳語も並んでいるのです。そのため、どちらに訳したらいいのか戸惑うのですが、ヘブライの言語と文化は、具象であると同時に抽象を表現する、すぐれた比喩性をもっています。抽象的な意味を具体的なもので比喩的に表現することの多い聖書の世界では、手は力なのです。手はもちろん目に見えますが、その手の働いている力そのものは見えません。そのうえ、神は目に見えませんから、神の手も、もちろん見えません。しかし、見えないけれども、神の力が働いている。その神の力を聖書は神の手と表現し、その働きを伝えようとしています。
たとえば、創世記や詩編八編によれば、天地万物の創造は神の手によるものですし、出エジプト記や申命記には、エジプト脱出、荒野での導きの歴史が神の御手の業であり、導きであったことが何回も記されています。また、詩編一四三編の五節には、「わたしはいにしえの日々を思い起こし、あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、御手の業を思いめぐらします」とありますが、イスラエルの人びとは、自然の不思議さに思いをめぐらし、歴史を思い起こし、また自分の歩んできた人生の日々を振り返りながら、神の御手の業を思い、感謝をささげるのです。
先ほど朗読していただいた詩編一三九編は、このような神の御手の導きの確かさとそれへの信頼を表白している有名な詩編です。「わたし」という人間は、「あなた」という神に、いつどこにいても知られている、愛されている、御手によって守られている、導かれているという徹底的な信頼がうたわれています。神がわたしを知っているというとき、聖書では「知る」とは「愛する」ことをも意味しますから、その知り方は愛による知り方です。
九―一〇節には、「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」とあります。ここには、神がどこにでもいますという神の遍在という考えがみられます。今、コンピュータはいつでもどこでも使えるようにすることをユビキタスと言います。それは「いたるところで」という意味です。ですから、「御手をもってわたしを導く」というのは、ちょうど、親が、どこかへちょろちょろ、うろうろと行ってしまうかもしれない小さな子どもの手をしっかりと握り、捕まえて、安全なほうへと導く、そんなイメージです。御手によってわたしを導いてくださる神には、信頼をもってすべてをゆだねること、その信頼が大切です。信頼抜きでは、人間同士の関係でもうまくいきません。まして、神との関係においてをや、です。神でも、信頼抜きでは御手をもって導くことはできない、そこには、裁きと破滅あるのみです。

御手にゆだねる

では、この信頼関係のモデルは、どこにあるのでしょうか。それは、神とキリストとのあいだにあります。ヨハネによる福音書三章三五節には「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた」とあります。また一三章三節にも「神はすべてをイエスにゆだねられた。そのことをイエスは悟られた」とあります。神がすべてをイエスにゆだねられたのです。そして逆に、そのイエスはどうか。ルカによる福音書二三章四六節によれば、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と、イエスはこう言って息を引き取られたのです。
「ゆだねる」というのは、最も大切なものを信頼できる誰かに預ける、任せるという意味です。また「霊」というのは、命そのものと言ってよいでしょう。創世記二章七節「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とありますが、土の塵からできている部分と、神が吹き込んでくださった「命の息」の部分がある。この命の息が「霊」であり、ほんとうのわたしのことです。イエスは今、この地上では、死んでいく者として、「わたし」という「命」そのものを「あなた」である神にあずける、まかせる、この神への絶対的な信頼がここにあるのです。
この言葉は、イエスが親しんでいた旧約聖書の詩編三一編六節の「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます」という言葉なのですが、当時のユダヤの人びとは夜眠る前に、神に対してこう祈ったのです。ということは、イエスは十字架で息を引き取る最後のときに、あたかも眠るときのように、神に対する絶対の信頼の祈りをささげ、今まさに、体という隔てを超えて父なる神と愛においてひとつなる世界に入ろうとするとき、死という壁を突破する原動力となるのは、ただ信頼する心だけだ、ということを表わしているのです。
神が御手をもって導いてくださっているということは、事前にはなかなかわかりません。また、現在そうであっても、そのことを悟ることも難しいものです。でも、自分の人生を振り返ってみると、偶然、誰かに出会ったことをきっかけに、人生の方向が変わったとか、偶然にしかすぎない数々の出会いを思い起こしてみると、それが単なる偶然であるのか、それとも、それは私たちの思いや意識を超えた神の御手の導きではなかったのかと気づくことがあるのではないでしょうか。たとえ、悲しい出来事に出会った過去であっても、そのかかわりのなかで、不思議な導きがなかったかどうか、神はときには厳しい試練を与えることで、私たちの信頼の心の弱さを戒め、励ましておられるのです。
新島襄は、この聖書の教えの基本を早くから学び取り、この信頼に生き、この信頼を生涯貫き、事あるごとに人びとに教えたのでした。一八八九(明治二十二)年十月二十一日付の広津友信に宛てた手紙の最後には、「何卒前途は我々を顧みてくださる真神之御手に任せ、・・・真神之御手が貴君を御守りあらんことを祈る」と書かれています。新島は八重夫人宛の手紙でも、しばしば最後のところで書いています。ひとつだけ例を挙げておきますと、「何事も皆ことごとく主の御手にまかせ、ますます神に近づき神と共に歩み、神の前に出るに心に臆する事なきようご修業ありたく候」。(『新島襄全集3』三三三頁)
さらに、新島の教えを受け、同志社の教員でもあった詩人の湯浅半月は、「見えざる神の御手」という題のもとに、新島の誕生から永眠までの生涯をうたいあげる長編詩を書いています。(『新島先生記念集』同志社校友会 昭和十五年 一一二―一三五頁)
このような神の御手の導きへの信頼は、神学的にはプロヴィデンスという教理となっており、とくにピューリタンの信仰者や神学者が大切にしていました。ですから、新島はフィリップス・アカデミーに在学してすぐさま習ったのでしょう。一八六六年一月元旦、ハーディーに宛てた手紙のなかで、お世話になっているヒドン家の人びとの温かいケアについて、「私はこれらすべてのことは神のプロヴィデンスあるいは恵みによるものだと思っています」と書いています。また、一八八八(明治二十一)年に入学した秦孝道は、新島が新入生を集めて「何事も神のプロヴィデンスである」という言葉を繰り返し語られたと記しています。(「何事も神のプロヴィデンス」『新島先生記念集』同志社校友会 昭和十五年二六九頁)

新島の不思議な御手への信仰を

しかし新島は、決して聖書の言葉やキリスト教の教理をやみくもに信じたのではありません。そうではなく、新島はみずからの限界と弱さを常に深く自覚していました。そして、その自覚をばねにして、神を求め、神の導きにすべてをまかせる徹底した信仰に生きたのです。この信仰のゆえに、新島は偶然に出会った聖書やキリスト者や多くの人びととの出会いを大切にしましたし、この信仰をもって、それらひとつひとつの偶然の出会いの意味を思いめぐらすことで、偶然の出会いを必然の愛の出会いへと導く神の愛を確信することができたのです。それゆえに、新島はこの神の愛のメッセンジャーとなったのです。
新島は、ある説教のなかで、「神は人の耐え得ざる程の困難に陥らざる内に、早くも手を出して之を助く」と語っています。(『新島襄全集2』七七頁)。このような見えざる御手の導きを確信して新島は同志社を創設し、同志社を見えざる御手の導きにゆだねたのです。この新島の強烈な神の御手への信頼が新島と出会う人びとに感動を与え、同志を結集させ、新島亡きあとも、同志社に学び、新島の信仰を継承する人びとが集まり、同志社の歴史を築いて今日に至っていることを覚えます。どうか私たちも今一度、新島襄の祝福の言葉にうながされて、不思議な御手、見えざる御手の導きへの信仰を私たち自身のものとしつつ、お互いに同志社での出会いを大切に深め合おうではありませんか。

二〇〇八年四月十六日 水曜チャペル・アワー「奨励」記録

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