奨励

カシコイモノヨ、教えてください

奨励 小笠原 純〔おがさわら・じゅん〕
奨励者紹介 日本キリスト教団高槻日吉台教会牧師

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

(ヨハネによる福音書 一章一―一八節)

羊はねむれり

 はじめまして。日本キリスト教団高槻日吉台教会牧師の小笠原純といいます。今日はアドヴェント讃美礼拝で、共に神さまを讃美することができ、とてもうれしく思います。
 さきほど歌いました讃美歌21―二五二番は「羊はねむれり」という曲です。この讃美歌の作詞者は三輪源造という人です。三輪源造は新潟県三島郡与板町の出身で、一八七一年八月四日に、与板で生まれました。与板町からは、戦争中に群馬の安中教会で牧師をしていました柏木義円という人も出ています。この人は戦争に反対していた非戦論者でした。私は昔、新潟県三条市にある三条教会というところで牧師をしていましたので、ぜひこの「羊はねむれり」という讃美歌を、同志社大学で歌いたいと思っていました。その願いがかなって今日はとてもうれしいです。
 この三輪源造の「羊はねむれり」という讃美歌は、英語に訳されて、アメリカで日本のクリスマスの讃美歌として歌われています。そしてこの讃美歌を英語に訳した人は、新潟市にある敬和学園高等学校で校長をしておられたジョン・モス宣教師です。私はこの「羊はねむれり」という讃美歌が好きです。なんとなく敬虔な気持ちにさせてくれます。クリスマスはやはり敬虔な気持ちになって迎えたいと思います。

カシコイモノヨ、教えてください

 詩人の長田弘は『世界はうつくしいと』(みすず書房)という詩集のなかで、「カシコイモノヨ、教えてください」という詩を書いています。

カシコイモノヨ、教えてください
―冒険とは、
一日一日と、日を静かに過ごすことだ。
誰かがそう言ったのだ。
プラハのカフカだったと思う。
人はそれぞれの場所にいて、
それぞれに、世に知られない
一人の冒険家のように生きねばならないと。
けれども、一日一日が冒険なら、
人の一生の、途方もない冒険には、
いったいどれだけ、じぶんを支えられる
ことばがあれば、足りるだろう?
夜、覆刻ギュツラフ訳聖書を開き、
ヨアンネスノ タヨリ ヨロコビを読む。
北ドイツ生まれの、宣教の人ギュツラフが、
日本人の、三人の遭難漂流民の助けを借りて、
遠くシンガポールで、うつくしい木版で刷った

いちばん古い、日本語で書かれた聖書。
ハジマリニ カシコイモノゴザル。
コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。
コノカシコイモノワゴクラク。
コノカシコイモノとは、ことばだ。
ゴクラクが、神だ。福音がわたしたちに
もたらすものは、タヨリ ヨロコビである。
今日、ひつようなのは、一日一日の、
静かな冒険のためのことば、祈ることばだ。
ヒトノナカニ イノチアル、
コノイノチワ ニンゲンノヒカリ。
コノヒカリワ クラサノナカニカガヤク。
だから、カシコイモノヨ、教えてください。
どうやって祈るかを、ゴクラクをもたないものに。
ギュツラフ訳聖書(一八三七年)は覆刻「約翰福音之傳」による

 この詩をよむと、聖書に対する敬虔な気持ちを感じさせられます。

ギュツラフ訳聖書
人の一生の、途方もない冒険には、
いったいどれだけ、じぶんを支えられる
ことばがあれば、足りるだろう?
夜、覆刻ギュツラフ訳聖書を開き、
ヨアンネスノ タヨリ ヨロコビを読む。

 長田弘が人生の途方もない冒険を支える言葉として選んだのは、「ヨアンネスノ タヨリ ヨロコビ」、ヨハネによる福音書の初めの言葉でした。ギュツラフ訳聖書というのは、最初の日本語聖書といわれます。カール・ギュツラフという宣教師が、岩吉、久吉、音(乙)吉という三人の日本人漂流民と共に、聖書の日本語訳を試みました。そして江戸時代末期の一八三七年、シンガポールでヨハネによる福音書とヨハネの手紙(一)(二)(三)を出版しました。これがギュツラフ訳聖書です。

(ギュツラフ訳聖書)
【ハジマリニ カシコイモノゴザル。
 コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。
 コノカシコイモノワゴクラク。
 ハジマリニコノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。
 ヒトワコトゴトク ミナツクル。
 ヒトツモ シゴトワツクラヌ、ヒトワツクラヌナラバ。
 ヒトノナカニイノチアル、
 コノイノチワ ニンゲンノヒカリ。
 コノヒカリワ クラサニカカヤク、
 タダシワ セカイノクライ ニンゲンワ カンベンシラナンダ】

言が肉となった

 ヨハネによる福音書一章一―一八節には「言が肉となった」という表題がついていますが、ヨハネによる福音書の降誕物語だといわれます。ですからクリスマスの時期によく読まれる聖書の箇所です。
 ヨハネによる福音書一章一―五節にはこうあります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」。ヨハネによる福音書では、イエスさまのことが「言」とか「光」として象徴的に語られています。一体「言」とか「光」とかいうものは何のことなのだろうかと思いながら、ヨハネによる福音書を読み進めていきますと、ヨハネによる福音書一章一七―一八節に「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」とあり、「ああ、言とか光というのは、イエスさまのことだったんだ」とわかるわけです。
 ヨハネによる福音書一章一〇―一四節にはこうあります。「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。
 「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とありますように、イエスさまは神さまの独り子として、暗闇の世に来られたけれども、世の人びとはイエスさまのことを受け入れませんでした。イエスさまは暗闇の世にあって、十字架につけられます。しかしその十字架につけられたイエスさまこそ、神さまが暗闇の世に送られた救い主であると、ヨハネによる福音書は私たちに告げています。
 ヨハネによる福音書は「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」というように、イエスさまが暗闇の世に来られたといいます。偉そうにしている人たちが好き勝手なことをし、小さき者たちが顧みられることなく苦しんでいる。不正がまかりとおり、力によって世のなかが回っている。力のない者ははじき出され、世の片隅で涙を流している。そんな暗闇の世に、イエスさまが来てくださったと、ヨハネによる福音書は記しています。
 ヨハネによる福音書の降誕物語は、マタイによる福音書やルカによる福音書の降誕物語とは、全く違っています。格調高い感じで、イエスさまがこの世に来られたことを記しています。しかし共通していることもあります。それはイエスさまが暗闇の世に来てくださったということです。
 マタイによる福音書やルカによる福音書の降誕物語の特徴は、幼子イエスさまの周りにいる人びとは小さき者であることです。もちろんヘロデ王などが出てくるわけですが、ヘロデ王はイエスさまの周りにいる人びとということではありません。イエスさまの周りにいる人びとはみな小さき者たちです。ルカによる福音書に出てくる、洗礼者ヨハネの母エリサベトも父ザカリアも老人です。母マリアは少女ですし、夫ヨセフは故郷に帰っても泊まるところのない人でした。羊飼いは人びとから嫌われている人たちでした。マタイによる福音書に出てくる占星術の学者たちは学者であるわけですが、ユダヤでは所詮外国人です。そしてイエスさまは大人ではなく赤ちゃんでした。イエスさまの誕生の物語は、小さき者たちの物語です。それはイエスさまの来られた世が暗闇の世であったからです。力のある者が、力でもって人を押しのけ自分勝手に生きている。小さき者がのけ者にされ、隅っこに追いやられている。小さき者たちは嘆き悲しんでいる。神さまは小さき者の祈りを聴かれ、イエスさまをこの世に送ってくださいました。マタイによる福音書もルカによる福音書も、ヨハネによる福音書と同じように、イエスさまが暗闇の世に来てくださったことを証ししています。
 ヨハネによる福音書一章一節以下の「言が肉となった」という聖書の箇所は、いろいろな難しいことを話すことのできる聖書の箇所です。「言は世にあった。世は言によって成った」という受肉。「初めに言があった」というキリストの先在。「言は神であった」という三位一体。受肉、キリストの先在、三位一体といったキリスト教の教義を知ると、難しいことを知ることができて、自分が賢くなったような気になります。しかし、私たちが「賢くなった」と感じるために、ヨハネによる福音書が書かれているとは思えません。ヨハネによる福音書には「暗闇は光を理解しなかった」と記されているのです。
 ジェームズ・H・コーンという黒人神学者は、著書のなかでこんなことを言っています。「黒人霊歌は、キリストの人格とわざについての神学的思弁に関しては沈黙している。『実体』(ousia)とか、み父との関係におけるみ子の存在についての学説などはいっさいない(黒人奴隷が、ニカイアやカルケドンにおける経緯について何も知らなかったであろうということは、まず確実である)。イエスは神学的問いの主題ではなかった。彼は黒人的経験の現実の中で認識されたのであり、黒人奴隷は彼の神性(・・)と人性(・・)の両性を、『いかにして神は人となりたもうたか』という哲学的問いを論じることなく肯定した」(『黒人霊歌とブルース アメリカ黒人の信仰と神学』八十四ページ、新教出版社)。
 ヨーロッパの神学のなかでは、「三位一体」というようなことや使徒信条やニカイア信条ということがとても大切ですけれども、しかし黒人奴隷にとってはそんな論議があることはあまり関係がなかったわけです。黒人奴隷たちは自分たちの日常の体験のなかで御言葉に出会い、そして御子イエス・キリストを信じたのでした。
 詩人の長田弘はこの聖書の箇所を読んで、「カシコイモノヨ、教えてください」と言いました。「ヒトノナカニ イノチアル、コノイノチワ ニンゲンノヒカリ。コノヒカリワ クラサノナカニカガヤク。だから、カシコイモノヨ、教えてください。どうやって祈るかを、ゴクラクをもたないものに」。カシコイモノは「言」のことであり、イエスさまのことです。ゴクラクとは「神さま」のことです。「だから、カシコイモノヨ、教えてください。どうやって祈るかを、ゴクラクをもたないものに」。「だから、イエスさま、教えてください。どうやって祈るかを、神さまをもたないものに」。とても謙虚で敬虔な気持ちにさせられます。

こうたん

 江戸時代の上方の落語に「こうたん」というものがあります。愚かな者の喜六が、クリスマスだからお祝いをすると言いだします。すると旦那さんが「クリスマスの意味も知らずに、お祝いをしても仕方がないだろう」と言って、クリスマスについて話し始めます。ヨハネによる福音書一章にあるように「神さまの独り子イエスさまが肉をもって暗闇の世にこられた」というような話しをします。そのあと喜六はクリスマスのお祝いの買い物に行き、そして帰ってきます。帰ってきた喜六に、旦那さんが「なに、こうたんや」と尋ねると、「へえ、すき焼きをしようと思って、野菜を買ってきました。イエスさまが肉をもってこられるのなら、わしらはせめて野菜くらい用意せんとあかんと思いまして」。とまあ、お気づきのことだと思いますが、クリスマスを題材にした「こうたん」なんて上方落語が、キリスト教禁令の江戸時代にあるわけないので、まあキリスト教小咄のようなものです。しかし、「イエスさまが肉をもってこられるのなら、わしらはせめて野菜くらい用意せんとあかん」という喜六のように、愚か者は愚か者なりの敬虔さをもちたいと、わたしは思うのです。
 私たちはこの暗闇の世を作り出すオロカナモノです。カシコイモノではありません。私たちに必要なことは、「賢い者になる」ことではなくて、「私たちが愚か者である」ということを知ることです。イエスさまが私たち愚かな者が作りだした、この暗闇の世に来てくださったのです。私たちに必要なことは、「カシコイモノヨ、教えてください」という謙虚で敬虔な気持ちになって、イエスさまをお迎えするということです。
 クリスマス、カシコイモノが私たちのところに来てくださいます。私たちは「カシコイモノヨ、教えてください」という謙虚で敬虔な気持ちになって、カシコイモノをお迎えいたしましょう。

二〇〇九年十二月二日 水曜チャペル・アワー「アドベント讃美礼拝」記録

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