奨励

ナザレ人イエスの名によって歩け

奨励 木原 活信〔きはら・かつのぶ〕
奨励者紹介 同志社大学社会学部教授
研究テーマ ソーシャルワークの思想と哲学

 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

(使徒言行録 三章一―一〇節)

 おはようございます。今日は、朗読された「使徒言行録」三章前半の記事をもとに「ナザレ人イエスの名によって歩け」ということについて、クリスマスメッセージに合わせて、私の専門とする社会福祉学を研究する立場から、ともに考えたいと思います。ペテロの二〇〇〇年前の言葉、これが今日のテーマです。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。
 ここには、援助の深い哲学的意味が隠されているように思います。この短い言葉から人間の生きる意味や自立について吟味してみましょう。これは「何かもらえる」と思っていた人間からしてみれば、その直接的な期待を真っ向から否定するような言葉だったはずです。それでは、ペテロがもっているものとは何だったのでしょうか。不遜な言い方ですが、実は私もすでに同じものをもらいました。そしてそれを保持し続けているから、今日ここに立たせてもらいました。自分としては受けるに値しなかったのですが、自分の努力ではなく、プレゼントとしてもらったのです。もらってしまったのです。実は、これこそが本当のクリスマス・プレゼントなのです。それは何なのでしょうか。それはナザレのイエス自身なのです。このことを詳しく考えましょう。

自分自身への排除

 さて、この箇所に登場してくるのは、一人の障がいを抱えた男と、イエスの弟子であるペテロとヨハネです。今、朗読しましたこの聖書の箇所を詳しくみますと、二節にあるようにシンプルに「生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た」と記されていますが、当時は現在の先進国のような福祉制度がなかった時代だから、障がいをもつ人の状況はもっと深刻な状況におかれていたはずです。最も日本などは今日なお遅れていて、当事者には決して住みよい街ではないのですが。およそ二〇〇〇年前のここまで古い記録はそれほど正確に残っていないのですが、いずれにせよ、障がいをもつ人たちは自分で何もできないから結果的に人に頼らざるを得ない状況にあったわけです。そして、現代社会では考えられないことでありますが、神殿の境内(宮)ではなく、「門のそば」、つまり門の外に置かれていたということです。当時のユダヤ教の掟では、障がいを欠陥と見なしていたので、その人は「欠陥」という概念ゆえに差別されて、神殿の中には入れませんでした。つまり、人間として当然にしてもつべきあらゆる権利から外されて生きざるを得なかったのです。疎外され、差別をされ、生きるために施しを乞うことをせざるを得ない、中心から外された「周縁者」であったのです。「置いてもらっていた」という受け身の表現が、その人の人生のつらさと虚しさをさりげなく伝えているようです。慈善事業の時代は、障がい者は、お恵みの対象に過ぎず、裕福な人の同情を誘った寄付、イスラーム社会では「喜捨」といいますが、これに頼って生きざるを得なかったのです。
 ただ、事の本質はそれだけではない。実はホームレス支援で活躍している湯浅誠氏が近年明らかにしているように、疎外され、排除された人びとの本当の苦悩は、社会から排除された結果として、結局、自分自身を自らが排除してしまう、つまり、この社会には用のない人間、生きる意味のない人間と自らが自らを定義してしまうことだと言うのですが、これは実に鋭い見解です。これこそが、社会福祉の本質的問題であろうと私は思います。この男の人の状況は詳しくわかりませんが、きっと、生きる意味を見いだしているとは言えず、自らを排除している状況であったと想像されます。
 三、四節の「見る」という言葉をめぐるズレは不思議です。この男は「見て」いるのに、ペテロたちはあえて「見なさい」、と言うのです。サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」という歌がありますが、ご存じでしょうか。僕はS&Gのファンだったので、この曲は大好きな歌ですが、歌詞は哲学的です。そのなかに「聴くことなく聞き」(people hearing without listening)、「話すことなく話す」(people talking withoutspeaking)というフレーズがありますが、三、四節の「見る」こともそうかもしれません。きっとこの男は、「見ることなく見ていた」ということでしょう。つまり、長い年月がこの人を真にものごとを「見る」ことから遠ざけてしまっていたのかもしれません。ペテロたちがあえて「見なさい」と呼びかけたのは、この男が自らを排除してしまったために忘れていた人格的な「我と汝」というような真の対話や触れ合いというものだったのでしょう。まずは、それを呼び覚まそうとしたのでしょう。

「立ち上がり、歩け」

 「立ち上がり」とありますが、昨日、原文で読んで気づいたのですが、これはギリシャ語では「よみがえる」「目覚める」という言語と同義です。「立ち上がる」と言えば、「自ら立つ」、つまり「自立」のことです。社会福祉学(界)では、近年、「自立と尊厳」が法律で明記されるようになり、最も重要なタームの一つとなりました。ギリシャ語は、真の自立の原点は、まずは「目覚めること」が必要であることを暗示しています。つまりは自分の今の状態に目覚めることが必要なのです。先の湯浅氏の「自分自身への排除」でいえば、その状態に気づき、そこから回復していこうとする自覚ということになるのでしょう。
 つまり、自分が一体どこにいるのかを知るということかと思います。今学期のチャペル・アワーのテーマが「あなたはどこにいるのか」という創世記のアダムとエバへの神からの問いかけで、これは人類の原点であり、本質的テーマでありますが、実は今日お話ししている自分のいる所に「目覚める」こと、すなわち、「自立」と関連するものだと思います。
 ところで、最近私は、電動アシスト自転車を購入しました。山手の桂坂に住んでおりますので、坂がきつくて普通の自転車で漕ぐのは、体力が落ちてきた私にはちょっと無理です。しかし電動アシストでは、自分が少しでも漕げば、桂坂のようなきつい坂でも、それを電気モーターが作動して、サポートしてくれるのでなんとかいけます。これは自立と援助を象徴的に物語っています。つまり、自分が漕がなければ何のサポートもないのですが、ちょっとでも自力で漕ごうとすると、その力の不足に応じて、電気が支援してくれるのです。結果的に、自力で駆け上ることができないようなきつい坂も、その助けがあれば走ることができるのです。もし漕ぐ機能がない、あるいは漕ぐ必要がないなら完全にモーターだけになり、それはもはや自転車ではなく、バイクであり、自分が漕ぐ必要はありません。これはもっと便利かもしれませんが、足の運動ということでいえば何も運動していないことになり、モーターに一〇〇パーセント頼っているということになります。それは「自立」していることにはなりません。普通の自転車・電動アシスト自転車・バイクの三つの関係は、私たちが自立と支援ということを考えるうえで参考になります。普通の自転車は、完全に自力走行による自立、電動アシスト自転車は、支援を受けながらもなんとか自立する姿、そしてバイクはモーターへの依存の姿を象徴しています。目下、社会福祉に求められているのは、自立を側面から支援するエンパワーメントです。

依存と自立

 ところで、皆さんは依存症ということをご存じでしょうか。人があるものに依存し、もはやそれがないと自分が主体的に立つということができなくなってしまうことがあります。これが病的になり、やめたくてもやめることができない状態が依存症です。アルコール依存症などがその一例です。精神保健福祉のフィールドにかかわっている関係で、今、依存症について深刻に受け止めています。アルコール依存症は一例ですが、ほかにもたくさんあります。人間が頼ってしまって結局、自立を阻害してしまう代表的なものが少なくとも三つあると思います。
 一つは金銀です。ペテロたちも指摘していますが、金銀の授与もそこに与える側、もらう側に主体的な関係や意味をなくしてしまうと、依存関係に陥ってしまいます。もちろん、金銀は必要不可欠であり、それは大切なものです。今日の聖書箇所のこの男は、どうだったかというと、まさに誰からもらうかなどの人格的関係は眼中になく、ただ金銀がもらえればもうそれでよかったのです。その意味で金銀は大きな力をもっています。金銀に代表されるのは「もの」です。「もの」は我々にとって必要ですが、それが「主」となり、人間が「従」となる危険性をいつでも帯びているのです。アルコールなどはその典型です。酒は、飲む側が主であれば、陽気に楽しませる「もの」なのでしょうが、それが依存状態になると、関係は逆転して、酒が主であり、人間がその奴隷となってしまいます。これは金銀も同じでしょう。常に我々にはそういうものがあるということなのでしょう。
 二つ目は、「組織」です。組織は我々には不可欠ですし、それを否定できる人は誰もいません。しかし「会社人間」に代表されるように、これも人と組織の関係が主従逆転となると、依存関係を生み出す可能性を帯びています。形式上それに同意して組織を機能させることは通常ですが、しかしそれが本質にまで及ぶと、「会社人間」が形成されるのです。滅私奉公の文化をもつ日本社会はこういう状況を生み出す温床が多分にあるかと思います。国家という枠組みもそうかもしれません。個人を埋没させてしまう全体主義的国家などは、強力な依存関係を生み出す温床でしょう。この場でとりあげるべきか迷うところですが、実は宗教も組織という面からは同様かもしれません。マルクスは「宗教はアヘンである」と断じましたが、その定義如何にもよりますが、あながち彼の推察ははずれているとも言えません。最近、スピリチュアリティ研究等の議論では、神との関係や人生の意味探究などを「霊性」と定義し、それを維持し体系だてる組織の総体を「宗教」と呼びます。むろん、前者を担保するうえで後者は不可欠です。しかし、歴史的にみて「宗教」は、それ自体が目的になり、巨大化し、やがて習慣的から惰性的になり、そしてついに形骸化してしまうということが、これまで幾多の宗教・教団のなかでもあったようです。組織に「霊的」意味を見いだすことができなくなったなら、それは危険信号かと思われます。
 三つ目ですが、意外かもしれませんが、それは人間そのものです。この依存関係は直接的であり実に強烈です。人間への依存というと、話題になっている恋愛依存・性依存などだけでなく、最近注目されているのが共依存です。この言葉はあまり聞きなれないかもしれませんが、アルコール依存症などで、その依存症の夫を懸命にケアする妻が、実は依存する夫を助けること自体に依存してしまっているという、皮肉で奇妙な依存関係がソーシャルワーカーによって指摘されています。たとえば夫のアルコール依存症が回復すれば、本来は妻も喜ぶはずなのに、かえって鬱状態になってしまうというような奇妙な現象です。これはケア状態において互いに距離が保てなくなり自立できなくなってしまう状態です。
 さて、話を聖書の使徒の記事に戻しますが、ペテロは、ここで勢いで話したというより実に意味深長な発言をしているように思えます。先の分析をあてはめると、このペテロの前に座っている障がいを抱えた男は、依存関係に生きていた(生きざるを得なかった)人と言えます。彼の依存対象は、金銀であったり、人間であったりでしょう。それに過度に依存するしか生きる術がなかったのは事実ですが、しかしこれではいつまでたっても本当の自立ではないはずです。しかし、ペテロの言説の快挙は何かというと、「私」ではなく、「わたしのもっているもの」に頼ることを示したことです。牧師・ソーシャルワーカー・教師・カウンセラーには心すべき言葉だと思います。どうしても、構造的に「私」に頼るよう一対一の閉じられた関係にしてしまいがちだからです。そちらのほうが互いに心地よいと思ってしまう誘惑があるのです。その結果、互いが無意識のうちに閉じられた、依存・被依存関係にはまってしまうのです。これは一見すると安心なようですが、臨床上は実は危険な依存関係を構築しているのです。なぜなら、いつまでたっても助けられる側は自立できないばかりか、助ける側も先ほど示したような共依存関係を生み出してしまうからです。この点、パウロは、絶妙な言葉を残していると思います。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」。これこそ教育の基本原理だと思います。私が成長させてあげているのだ、などと考えていると、学生や子どもたちやクライエントは、結局いつまでたっても教師やカウンセラーに依存的になり、本当の自立ができないのです。レスキュー隊は、水に溺れている人を助けるときに、その人がしがみついてきたらいったん溺れている人を水に沈めるそうです。しがみつかれると共倒れすることがあり、結局、その人を助けることができないからだそうです。これらのことは自立と依存ということを物語る例だろうと思います。

ナザレのイエス

 それでは、真に自立を促し頼るべきものは何かという核心に迫る必要があります。三つの陥りやすい依存について触れましたが、ペテロがここで示したものは、「ナザレのイエス・キリストの名」でした。結論的に言うと、私は、これこそが我々が真に自立をし、頼ることのできるものである、と確信しています。
 そこで、この言葉について分節して考えましょう。まず「ナザレ」です。これは、歴史上(地理上)の具体的なものであることが大切です。それは、観念論としてではなく、実体のあるものであるということです。神が神である限り、人間にはそれ自体としては実感できませんが、神学上の「受肉」の奇跡に説明されているように、神が肉を纏った人間の姿(身体)として歴史上に登場したことによって、我々は神がはじめて「わかる」のではないでしょうか。現代西洋哲学の批判として、精神論・観念論が現代では浮上しておりますが、実は「ナザレのイエス」という言葉は、その対極にある「身体論」を彷彿とさせていることがわかります。
 「ナザレ」から次にわかること、それは、「弱さ」の根本であるということです。ナザレは旧約聖書には記載のない地名のようですが、地図でみるとガリラヤ郊外の田舎町です。当時、イスラエルの中心からすればガリラヤ地方自体が地域的には辺境地であったのですが、とりわけ、このナザレは、「ナザレから何のよいものがでるであろう」と差別されていたことを示す言葉が福音書に記録されているように、周縁の土地の象徴であったようです。このあたり考古学的にも議論があるようですが、ナザレという響きには侮蔑したかのようなものがあったようです。ところが、このナザレという呼称をイエスの弟子たちがあえて誇りにしていたのはなぜでしょうか。ナザレは、「悲しみの人で病を知っていた」イエス、人間の宿屋ではなく馬小屋で生まれたイエス、生涯枕するところもなかったイエスの「弱さ」の根源そのものを象徴する言説であったろうと思われるからです。それは、底辺で喘ぐ者たち、社会の周縁で嘆く者たち、疎外され蔑まれる人たちに、真の意味でコンパッション(共感共苦)できる鍵となる言葉、それが「ナザレ」であったのではないかと思います。だからこそ、ナザレを誇り、それをシンボルにしていたのではないだろうかと思います。そして、この門の外にいて、自分自身をも排除してしまっている、障がいをもつこの男の、痛みと実存に触れることのできるセンサーとなったのではと思います。
 「ナザレのイエスの名」とありますが、それでは、ここでいう名前とは何でしょうか。スイスの精神科医ポール・トゥルニエは「名前はいのち」であると述べています。確かに、強制収容所では、名前ではなく、あえて番号によって人びとを識別します。これは相手を人格化させないための巧妙な方法なのです。もし私が大学で、学生を本人の名前ではなく、すべて番号で呼ぶとどうなるでしょうか。あるいは皆さんの近所すべてでそうなるとどうでしょうか。例がまずいかもしれませんが、逆に、もし店頭に売っている肉に「小雪」「太郎」「花子」などと名前があったら、皆さんはいかがでしょう。どうして「ポーク二〇〇グラム」とか「ビーフ三〇〇グラム」として抽象化して販売するのでしょう。それは非人格化しないと食べにくいからでしょう。私の叔父は広島県にあるスイス村というところで様々な問題を抱えた子どもたちと自給自足の生活をしています。そこでは、食肉にする家畜にはあえて名前はつけないそうです。なぜなら、あるとき皆が名前で呼び合ってあたかもペットのように飼っていた豚を食物として食べたときに、子どもたちがヒステリックな反応をしたことがあったからだそうです。ビーフとかポークとかチキンなどというと美味しそうですが、あの「花子」とか、その「太郎」となると、確かに誰も食べられないでしょう。トゥルニエが指摘するとおり、名前とは人格そのもの、命の本体そのものである、ということは的を射ているように思います。名前というのは記号ではなく、名は人との関係性のなかで意味を帯びさせるものであり、人格の宿るところなのでしょう。そうすると、ここでいう「ナザレのイエスの名」とはイエスの人格、その本体そのものであり、それによってあなたは立ち上がりなさい、というメッセージになるのです。

クリスマスの衝撃

 金銀は私にはない。私にあるものをあげよう。そうペテロは言いました。あれほど誰もが欲しがる金銀、それをも凌駕する真の最高のプレゼントであるという自信がペテロにはあったと思われます。これこそがすべての人が受けることができるクリスマス・プレゼントなのです。ペテロがもっていたもの、それはペテロだけが密かにもっている独占物や秘儀ではなく、万人に及んだのです。ユダヤ人だけが律法下にあり、選びの対象であったと考えられていたのですが、それが万民に及んべき話であったのです。クリスマスを象徴する「すべての人を照らす真の光」であるイエスそのものとはそういうものなのです。とりわけ、悩める者、自ら立ちあがることすらできないもの、絶望する者、苦悩する者、そこに光を与える方、これがイエス・キリストなのです。
 さて、この男はどうなったでしょうか。三章七節を読むと、「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った」。こうして、周縁に追いやられた人間が自ら立ちあがり神殿の門の「内側」に入って行ったのです。何気なく書いていますからこの感動を読み落としてしまうかもしれませんが、「境内に入った」、つまり、これまで、障がいをもつゆえに差別され排除された男が、イエスの人格に出会い、喜び勇んで堂々と門の内側を一人で歩いて入って行ったのです。それは神へのあふれる賛美と感謝の喜びの足取りであったでしょう。この男を見た人びとの反応が、「クリスマスの衝撃」がいかほどであったかということを物語ります。九節、十節を読むと、「民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の『美しい門』のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた」とあるとおり、仰天の出来事であったはずです。
 イエスと出会う喜び、あらゆる偏見と差別から解放され、排除された男の喜びは、衝撃となって周囲の人に及んでいくのでしょう。今日ここにいる私たち一人ひとりに、また今苦しんでいる人びとにもこのクリスマスの喜びが届きますように。

二〇一〇年十二月十五日 水曜チャペル・アワー「アドベント讃美礼拝奨励」記録

[ 閉じる ]