奨励

同志社スポーツに思うこと

奨励 藤澤 義彦〔ふじさわ・よしひこ〕
奨励者紹介 同志社大学スポーツ健康科学部長
研究テーマ スポーツ選手の資質に関する研究

 あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。

(コリントの信徒への手紙1 9章24―27節)

スポーツの祭典

 第30回、ロンドンオリンピックは、2012年7月27日から8月12日までイギリスのロンドンで開催されました。204の国と地域から約1万1000人が参加し、26競技302種目が行われました。ロンドン大会は、史上初となる3度目のオリンピック大会の開催でした。ロンドンオリンピックは3回目の開催ですが、日本は1908年大会には選手を派遣せず、1948年大会は敗戦国でドイツとともに参加が認められなかったため、この2012年大会が初めてのロンドンオリンピックへの参加となります。
 ご存じのように近代オリンピックは、フランス人のピエール・ド・クーベルタンが提唱し、1896年から行われています。クーベルタンが近代オリンピックのお手本としたものは、紀元前9世紀から紀元後4世紀まで、古代ギリシャのエーリス地方、オリンピアで4年に1回行われた当時最大級の祭典でした。この祭典では、今でいうスポーツの競技会も開催されていました。
 古代オリンピックの最盛期にはギリシャ各地から選手が参加し、ギリシャ人は、この祭典を格別に神聖視していたと言います。この競技会に優勝したものは、オリーブの冠を授かり、神と同席することを許されたそうです。もちろん優勝者は、故郷で盛大に迎えられ、祖国の神殿に像が作られた競技者もいたし、税が免除されることもあったとも言われています。祖国の歴史に、ながく名が刻まれることになる英雄であったわけです。しかし、この祖国での優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生み、祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働く者、審判を買収する者が出て、オリンピア大祭は腐敗していきました。このようなオリンピアの大祭の腐敗とともに、紀元後4世紀になるとキリスト教が広まるにつれ、異教ローマ神の祭典は、しだいに退廃していったとされています。ローマがキリスト教を国教(392年)とした時代より、キリスト教以外の宗教は禁じられたため、オリンピアの大祭も禁じられることになりました。ここで、古代オリンピックが終結しました。

近代オリンピックの誕生

 時は流れて、19世紀に入り、1894年6月23日、パリでスポーツ競技者連合の会議で、古代オリンピックにならった近代オリンピックの開催と国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決定されました。この日すなわち6月23日が、今もオリンピックデーとされています。この会議に集まったのは、フランス・イギリス・アメリカ・ギリシャ等20カ国からの47団体79名。政治家や軍人など、決してスポーツの専門家ではない人びとがほとんどでした。
 近代オリンピックの提唱者は、先に言いましたとおり、ピエール・ド・クーベルタン男爵です。彼自身も根っからのスポーツ専門家というより、実は「教育学者」でした。
 彼は、1863年1月1日、貴族の家系の三男としてパリに生まれました。ゆくゆくは軍人、官僚、政治家になることを期待されていましたが、教育学に興味を示すようになります。
 当時のフランスは、普仏戦争(1870―71年)の敗戦を引きずり沈滞ムードが蔓延していました。この状況を打開するには教育を改革するしかない、と考えるに至ったのです。そこで、クーベルタンは、パブリックスクール視察のためにイギリスに渡ります。実は、彼はイギリスが大嫌いだったそうです。しかし、クーベルタンは、イギリスの学生たちが積極的に、かつ紳士的にスポーツに取り組む姿を見て感銘を受け、「スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要がある」と確信したのです。折しも1852年にドイツの考古学者によってギリシャのオリンピアで遺跡が発掘され、それに刺激されたクーベルタンは、スポーツ教育の理想の形として「古代オリンピックの復活」を思い描くようになっていきます。近代オリンピックの第1回大会は、1896年、古代オリンピックの故郷「オリンピア」のあるギリシャで開催することも採択されました。
 皆さんご存じと思いますが、有名なクーベルタンの言葉として「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」があります。しかし、これは実は彼の創作ではありません。英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだった1908年のロンドン大会中の日曜日、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に、主教が述べた戒めの言葉でした。

オリンピックの商業化

 その後、オリンピックが巨大化するに従って、財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では、大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1あるいは2都市だけという状態が続きました。しかし、1984年のロサンゼルス大会が世界のスポーツイベントの常識を根底から変えてしまいました。当時、ピーター・ユベロスという弁護士が組織委員長を務め、オリンピックをショービジネス化しました。結果として2億1500万ドルの黒字を計上しました。たとえば、スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ、聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成し、その後「オリンピックは儲かる」との認識が定着しました。この流れは、プロ選手の参加を促し、巨額の「金」が動くようになり、「金」と「名誉」のためのドーピングの問題や「儲かるオリンピック大会開催」のための過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化するようになりました。
 このように話をしますと、何か古代オリンピックの腐敗と同じような道をたどっているように思われませんか。そもそも、近代オリンピズムの根本原則は、「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である」とされていますということで、本来オリンピックは、チャンピオンシップではなく競技に携わった成果をたたえるものであったはずです。しかし、現在のオリンピックに代表されるスポーツを見てみると、このような感覚が薄れてきているのではないかと感じます。これは、スポーツ選手だけでなく、スポーツを愛好するすべての人にいえることではないかと思います。そのなかに、もちろん学生スポーツが存在します。

本来スポーツとは

 同志社大学では、学生支援センターが同志社スポーツのあり方を次のように規定しています。
「スポーツを通じて、スポーツマンシップを身につけるとともに、同志社人としての誇りをも身につける」。
 「スポーツ」とは本来、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体や頭脳を使った行為です。また、「スポーツマンシップ」とは、スポーツのルールを遵守してゲームを行っていくうえでの根本的な姿勢をいい、スポーツを行う上での品性ないしマナーのことを言います。そのため、スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表されるものです。これらは、スポーツ選手、コーチや監督、ファンも含めて求められるのです。
 ところで、皆さんはスポーツが好きですか。
 たぶん、スポーツ好きの人は、「技術的な上達の喜び」や「勝利の喜び」を経験できたから、あるいは「親に褒められた」「学校の体育の授業で、クラスのみんなに注目された」からではないでしょうか。スポーツ嫌いな人は、このような経験がなかったのではないでしょうか。また、何か勝利至上主義のスポーツに嫌気がさしたのではないでしょうか。あなた自身のスポーツ参加の動機づけがどんなものであったかはわかりませんが、スポーツが苦手であっても、現代社会をたくましく生き抜くためには、スポーツを含む身体活動は不可欠です。もし、スポーツの活動が毎回楽しく、お互いを尊重し、自らを向上させようと努力しているようなモノであれば、みんな好きになるでしょう。そんな素晴らしい活動の場面が、本来のスポーツです。これは、競技スポーツでも健康のためのスポーツでも同じです。
 私が留学していたフランスでは、スポーツを始める子供に最初に教えることは、「スポーツは楽しい」という感覚です。指導者は、まず子供を「スポーツ好き」にさせます。子供が、スポーツを好きになれば長く続けることになります。物事何でも、その「活動」が楽しければ、またその「活動」に参加したいと思うはずです。スポーツは、単に技術を身に付け、相手に勝つことだけが目的ではありません。そのため、特にスポーツ愛好家は、スポーツの「魅力」、「価値」および「文化としての役割」を多くの人びとに伝えていくメッセンジャーでなければなりません。

大学の中のスポーツ

 同志社スポーツに関係する人たちは、是非このようなメッセンジャーになってほしいと思っています。そこに同志社スポーツの意義があるのではないでしょうか。確かに、スポーツを楽しみ、快適なスポーツライフを送るためには、ある程度のトレーニングが必要です。上手になればもっと上手になるためのトレーニングを惜しまない、という気持ちはスポーツを実践した人であれば感じたことがあると思います。しかし、スポーツ経験があまりなければ、どのようにスポーツに取り組めば良いのかわからない人も多くいるでしょう。そこでサポートしてくれる指導者が必要になってきます。
 これまでの日本のスポーツ界では、「厳しさこそがスポーツだ」という間違った風潮があったことは否めず、指導者が情熱を注ぐあまり、思い余って体罰や言葉による暴力ともいえるようなことが起きてしまっていたことも多々あります。ちょっとした言動からプレイヤーの心を傷つけていることが現実の問題として存在し、「スポーツ離れ」「スポーツ嫌い」が起きています。特に子どもたちを指導する場合は、不快な思いをさせないように充分な配慮が必要で、我々同志社スポーツ関係者は、まず、「スポーツの楽しさ」を自ら表現できるモデルとなる必要があるのです。スポーツの競技結果のみを重視して、「勝てばよし、負ければ価値がない」という意識が優先すると、スポーツは意味のないものになってしまうでしょう。
 皆さんもご存じのように、2008年4月に「スポーツ健康科学部」が開設されました。この学部の目的は、現代生活における健康の増進やスポーツの社会的発展に寄与・貢献できる多様な人材の育成です。日本はまだまだ欧米社会と比較し、スポーツ・健康に関する教育の制度や環境が十分整備されていません。この状況を変えるためには、スポーツ健康科学の専門的知識と理論を修得した人材の育成が重要であると考えました。本来、スポーツには、楽しむ・競うなどの要素に加え、マナー・コミュニケーション能力・リーダーシップ・協調性・論理的思考力などを身に付ける教育的効果ももっていることはお話ししたとおりです。同志社でスポーツを経験した人たちは、このような素晴らしいスポーツの本質を理解し、我国のスポーツの社会的向上に努めてほしいと、常々思っています。また、そのような人びとが増えていくように努力したいと考えています。

2012年10月31日 同志社スピリット・ウィーク秋学期
京田辺水曜チャペル・アワー「奨励」記録

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