奨励

それでも愛しましょう!

奨励 金 度亨〔きむ・どひょん〕
奨励者紹介 日本キリスト教団ゴスペルハウス伝道所牧師

 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

(コリントの信徒への手紙一 13章4―13節)

人生において
いちばん大事なことは

 もう10年もたちました。アメリカ人に最も愛された本のなかで『モリー先生との火曜日(Tuesdays with Morrie)』(Mitch Albom, Doubleday, 1997)という本があります。アメリカのジャーナリストのミッチ・アルボムによって書かれたノンフィクション小説です。映画でも上映されました。難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したもので、1997年にアメリカで出版されベスト・セラーとなりました。
 モリー教授は自分の弟子であり、コラムニストであるミッチ・アルボムにこのように言います。
 “The most important thing in life is to learn how to give out love, and to let it come in”「人生においていちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」と。“Love is the only rational act”「愛こそ理性を持っている人間の一番人間らしい理性的な行動である」と強調します。

 私たち人間に必要なことは愛です。私たちは互いに愛し合うことによって、人間であることを認識することができます。
 本日の聖書であるコリントの信徒への手紙一の13章は、愛を歌った「愛の賛歌」です。ある神学者は、コリントの信徒への手紙一の13章をパウロが書いた作品のなかで一番偉大で、意味深い文だと言いました。
 ところが、問題があります。人は利己的で、自己中心的で、不合理的で、非論理的であるので、愛することができない人があまりにも多すぎることです。

逆説の10カ条

 一つの文を紹介します。この文はケント・M・キースというアメリカ人が書いた「逆説の10カ条」という文です。この文はマザー・テレサがよく引用しましたし、マザー・テレサの言葉として編集され、インドのカルカッタの孤児の家の壁にも掛けておいた文です。

 「逆説の10カ条」ケント・M・キース

1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
2 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。
4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6 もっとも大きな考えをもったもっとも大きな男女は、もっとも小さな心をもったもっとも小さな男女によって撃ち落とされるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7 人は弱者をひいきにはするが、勝者のあとにしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。
9 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。
10 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

(ケント・M・キース著 大内博訳『それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』早川書房 2010年 26―27頁)

 この文の中でケント教授は強調します、それでも人を愛しなさい、と。人は不合理・非論理・利己的です。それでもとにかく、人を愛しなさい、と。
 人が人を愛するというのは、言葉どおりにそんなに簡単な行為ではありません。にもかかわらず、私たちは愛をもって人と接しなければなりません。
 ケント教授の言葉を引用します。
 「心理学者のアブラハム・マズローは『人間の成長にとって、愛はビタミンやミネラル、たんぱく質と同じくらい不可欠である』と言っています。人間は愛を燃料として動くものだと私は信じています。そういうふうにできているのです。愛を与え、愛を受けとっていなければ、エンジンが全開しているとは言えません。本来の自分になっていません。自分がもっている可能性をすべて体現した状態になっていません。できることをすべてやっている状態ではありません。
 私たちは同意してもらえないからといって、人を愛さないことにしようと決めることがあります。あるいは、この人は不合理な人だ、わからず屋だ、わがままな人だ、だからこの人は愛する価値がないと決めつけたりします。これは悲劇です。なぜ悲劇かというと、愛は、他人に同意してもらえるかとか、愛する価値があるかという問題ではないからです。愛とはそのようなものではありません。
 誰にでも欠点や短所はあります。誰でも怒りたくなったり、弱さをさらけだしたり、誘惑に負けたりするのです。誰だって、しなければよかったと後悔するようなことをした経験があるでしょう。(中略)一緒にいるだけでいらいらするような知人は誰にでもいるものです。いつも何かを必要としていて、いろいろと要求が多いタイプの人です。何を言っているのか訳がわからないことも多く、無分別な人です。自分のことばかり考えているように見えます。実際自分のことばかり考えているのかもしれません。しかし、私たちがそういう人を愛することができたら、その愛を感じて、最高の何かがその人の中から現われでてくるかもしれません。愛には人を変え、人を愛すべき存在にする力があります。詩人のセオドア・レトキが言っているように、『愛は愛を生む』のです。」(同書31―33頁)

 私たちが人を愛することができない理由は、人を愛そうとしないからであります。「あの人は私と意見が合わない」、「あの人は考え方が違う」、「あの人は論理的でない」、「あの人は物分かりが悪い」などと、人を自分の基準で断定し、判断しているからであります。しかし、人を愛そうと努力するとき、その人は新しく見え始めます。人が私と考え方が違い、理解できない行動をする理由は、私と世界観が違うからであります。私と世界観が違う理由は、これまでの生き方が私とは全く違うからであります。そのように考えると、人と私が違うことは、当たり前のことであります。
 しかし、人を愛するようになったとき、はじめてその人を理解することができるようになります。人を理解できたから愛するのではなく、人を愛するようになったから理解できるようになるのであります。

「今」と「そのとき」

 本日の聖書の箇所の12節には次のように記してあります。
 「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」
 この箇所には二つの時について記されています。「今」と「そのとき」であります。「今」と「そのとき」が、具体的にどのような時点を指しているのかについての解釈はいろいろでありますが、私は「そのとき」を「人を愛するようになったとき」と解釈したいと思います。私たちが人を誠に愛するようになったとき、すなわち「そのとき」、私たちは人を部分的に知るのではなく、全体的に知るようになります。人を全体的に知るようになると、その人の理解できないところが一つ、二つもしあるとしても、そのために人が嫌になることはありません。なぜならば、相手の100のなかで、一つ二つのところが気に入らないとしても、それ以外の98はいいところであるからです。
 私たちの自己中心的な思考や判断が、人間関係におけるあらゆる問題の原因であります。私たちはいつも自己中心的に考え、判断するために、誤解が生じ、葛藤や分裂が起こるのであります。
 本日の聖書の箇所を覚えて、人を部分的に見ないで、全体的に見ることができるよう願います。そのようになると、ケント教授の言葉どおりに、人は誰でも「(人を愛せない自己中心的な存在であるにもかかわらず)、人を愛することができるようになります」。

 愛する皆さん、皆さんが会うすべての人に愛という贈り物を与えてください。また相手の愛を受け取ってください。そうすることによって得られる、限りない人生の意味を楽しんでください。他の人が「扱いにくい」からといって愛することを諦めないでください。それでも人を愛しましょう。私たちは皆「扱いにくい」ことが多いのですから。
 人は不合理、非論理、利己的です。それでもとにかく、人を愛してください。皆さんの人生が変わります。

2012年7月11日 今出川水曜チャペル・アワー「奨励」記録

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