奨励

与えなさい。そうすれば・・・

奨励 石川 立〔いしかわ・りつ〕
奨励者紹介 同志社大学神学部教授
研究テーマ 聖書の神学

 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

(フィリピの信徒への手紙 2章3-9節)

何を与え、何が与えられるのか

 はじめに、皆さんに一つ問題を出したいと思います。
 ご紹介がありましたように、今日の話の題は、「与えなさい。そうすれば・・・」というものです。これはルカによる福音書6章38節にある、イエスが話された言葉です。前後はこのように続いています。「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」。
 ここでは「与えなさい」と命じられています。では、何を与えよというのでしょうか。「そうすれば、あなたがたも与えられる」とあります。しかも「あふれるほどに・・・ふところに入れてもらえる」と言われています。一体、何が与えられるのでしょうか。まるで、「始めは損だと思っても、とにかくお金を与えてみなさいよ。そうすれば、それがいっぱいになって戻ってきますよ」という話のような気もします。投資の勧めなのでしょうか。「投資すれば、お金が2倍、3倍、4倍になって返ってくるよ」というハイリターンの教えなのでしょうか。
 聖書には何を与えるべきなのか、そして、与えると何が与えられるのか、何も書いてありません。皆さんはどのように思われるでしょうか。
 今日は、この時間、この問題について、ご一緒に考えてみたいと思います。

新島の「与える教育」

 さて、我らが校祖・新島襄は、宗教者であり、また、教育者でした。聖書に基づいて宣教し、聖書に基づいて学生を教えたり、その他の教育活動を行ったりした人です。
 新島が説いた教育理念としては、良心教育が知られていますが、これと同じくらい重要な理念があります。それは「与える教育」です。実は良心教育と「与える教育」とは、内容は同じことだと私は思っています。
 新島は「与える教育」の必要性をよく語っていたようです。「取る教育は世に山ほどある。我等は与える教育をしなければならない」と説きました。同志社の独自性は、世の中でありふれている「取る教育」ではなく、「与える教育」にあるという主張です。
 「取る教育」だの、「与える教育」だの、聞いたことがないと思われるかもしれません。どういう教育なのでしょうか。
 新島は、一般の学校では智育、つまり知識や知性に偏った教育がなされていること、そしてそのことの弊害が大きいことを感じていました。ですから、徳育の重要性を主張しました。この智育が「取る教育」、そして徳育が「与える教育」に相当します。智育だけに押し出されれば、人は、知識を取り、学位を取り、卒業して、学校を出たということで職業を取り、給与を取り、地位を取っていきます。もちろん、働くという、自分を「与える」こともするのですが、それも結局は「取る」ための手段でしかありません。ですから、智育とは、極端な場合、「取る」ことを、いかに効率よく、上手にやっていくか、という教育です。一般の学校が教えているのは、この智育ばかりです。これに対して、徳育では、報酬を当てにすることなく、自分を与えることが勧められます。見返りを期待しないで、自分の労力、自分の時間、自分のエネルギーを用い、とりわけ「わたくし」というものを放棄して、奉仕することが求められます。

 ところで、このような「与える教育」という教育理念を新島はどこから学んだのでしょうか。「武士だったのだから、武士道から学んだのでしょう」―そう考える人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。あるいは「自分で『同志社にはどのような教育理念がいいだろうか』と考えて、『これがいいや』と思いついたのでしょう」―そう推測する人もいるかもしれません。しかし、そうでもありません。
 改めて言うまでもないことですが、新島はアメリカの三つの学校で学びました。フィリップス・アカデミー、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校。いずれも会衆派というプロテスタント系教派に属する学校でした。新島はそれらの学校から、キリスト教の一番大切な教えの一つ、「与える」こと、奉仕するために自分を放棄すること、セルフ・レスの重要さを学びました。「与える」ことが、その人を損させるどころか、かえって、人を大きく育て、人生を豊かにするのだということを教えられたのです。
 では、この「与える」という精神はどこから出てきたのでしょうか。もちろん、キリスト教の歴史のなかで何気なく現れたわけではありません。これは聖書に根拠をもっています。
 先ほど読みましたルカによる福音書もそうですが、使徒言行録にあるパウロの演説のなかに、ずばり、この「与える」という精神を説く箇所があります。使徒言行録20章34節です。
 「ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました」。

 しかし、このような反論が出てきそうです。「『与える教育』―確かに素晴らしいような気がします。麗しいですね。でも、絵に描いた餅、ただの理想じゃないんですか。与えたり、自分を放棄して奉仕したりしていたら、今の時代、損するばかりで、どんどん取り残されていってしまいますよ」と。他方、「取る教育」のほうはきわめて現実的ですので、分かりやすい。知識を取って、社会的な地位やお金を取っていく―こちらの考えのほうが常識的だし、説得力があります。実際、人は一般にそうするように教育され、そのようにして生きています。

「与える」とどうなるのか?

 毎週日曜日の朝5時(再放送はその次の土曜日の午後1時)から、NHK教育テレビで「こころの時代~宗教・人生~」という番組が放映されています。先日の放送は「ようがす引ぎ受げだ」という題で、今回の大震災で津波によって大打撃を受けた町、三陸地方の大船渡から、そこに住むカトリック信者のお医者さん・山浦玄嗣(はるつぐ)さんの証しの言葉を聞くことができました。山浦さんは四つの福音書を原語のギリシア語からケセン語に訳して、ケセン語訳聖書とこれを朗読したCDとを出版されている方です。ケセン語というと、どこの国の言葉かと思いますが、東北の気仙地方の言葉です。一昨年でしたか、同志社にもお呼びして、このクラーク・チャペルで講演をしていただきました。今回の大津波で、山浦さんは高台にある診療所が床上浸水をしたそうですが、ご家族共々ご無事であったとのことです。しかし、お友だち、知人を失い、愛する大船渡の町のほとんどを失いました。多くの愛するものを失いましたが、しかし、山浦さんは、町の大惨事を目の当たりにして「くそー、がんばるぞ」とやる気が出てきたと言っておられました。「ようがす引ぎ受げだ」。この大災害を、この惨憺たる現状を、悲しむばかりではなく、この事態を引き受けて、さあ再出発してやろうとやる気が出てきた、というのです。
 この番組では、山浦さんのほか、もう一人、話しをされていました。その方は、山浦さんの本を出している印刷会社の社長さんで、やはりカトリック信者の熊谷雅也さんです。熊谷さんは震災の日、会社にいたのですが、津波がきたというので、急いで車に乗り込んで高台まで逃げ、辛うじて助かりました。ご家族も、社員の皆さんも無事だったそうです。しかし、会社は建物ごともっていかれました。町と生活をすべて失いました。しかし、熊谷さんも、だいたい次のように証言しておられました。
 「震災の日までは、ビジネスのことばかり考えていた。売り上げがいくらとか、そんなことにしか関心がいかなかった。しかし、震災に遭い、津波に仕事を奪われて、新たな気持ちで自分を見つめ直すことができたし、すがすがしい気持ちになった」。
 被災したすべての方々が、このような肯定的な思いをもたれているわけではないでしょう。絶望のなかで立ちつくすほかない方々も少なくないでしょう。深刻な被害を出した災害に肯定的な評価を与えることなど容赦できないとおっしゃる方もあるでしょう。しかし、このお二人の証言も、確かに壊滅的な被害を受けた現場からの、偽らざる声の一つであることには違いありません。
 山浦さんも熊谷さんも、多くの人やものを、生活そのものや町全体を失いました。これは奪われたのであり、失ったわけですけれども、考えようによっては、強制されたのではありますが、「与えた」と言うこともできるのではないでしょうか。見返りや報酬など、もちろん期待することはできません―そのような期待が入る余地がないところで、ものすごい圧力によって強いられて「与えた」と言うこともできるのではないかと思うのです。
 圧倒的な力に強いられて「与えた」。そうしたら、新鮮な気持ちになり、元気が出てきた。すがすがしい気持ちになったのです。
 被災地には日本各地からボランティアの人たちが集まります。見返りを考えないで、自分たちの時間や労力を惜しまず、「与える」人たちです。この人たちも、報酬が得られるわけでもないのに、しかし、それだからこそ、生き生きとして元気がよいのではないでしょうか。
 日本中からの、また世界からの被災地への献金のことも思います。見返りを考えないで献金すれば、決して損したという後味は残りません。「与える」ことで、被災した人びととつながることができるような気がしますし、自分を「与える」ことで、自らの生活や生き方を見直し、かえって元気が出てきます。
 「与える」こと、損得を越えた奉仕の行為は、人の気持ちを高め、元気にし、すがすがしい気持ちにさせるのです。

「与える」となぜ元気が出るのか

 山浦さんと熊谷さん、お二人の証言から教えられるのは、「与える」という行為は、一般に考えられるように、損だとか、惜しいといった感覚を残すのではなく、むしろ逆だということです。少しでも見返りを期待していれば、「損した」という感覚や、「いや、いつか得するかも」という打算がつきまといます。しかしそれは、本当の意味で「与える」ということではありません。報酬や見返りなど考える余地なく、「与える」とすがすがしい気持ちになって、元気が出てくるのです。
 これは、一体なぜなのでしょうか。普通に考えると、逆のような気がします。報酬を得たり、儲かったりするほうが元気が出るのではないでしょうか。ところが、無償で「与える」と元気が出る。すがすがしい気持ちになる。なぜでしょうか―。
 この答えのヒントは、聖書にあります。先ほど読んでいただいたフィリピの信徒への手紙2章。もう一度、6節から8節まで読みます。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。ここには惜しみなく自らを与えられたキリストの姿が簡潔に描かれています。惜しみなく自らを「与える」こと―これは人間業ではありません。人間には「自我」がありますので、これが邪魔して「与える」ことを完全にはできません。このキリストの自己放棄は、神の業です。
 私たち人間には、神様のなさることなど、その一端であっても到底できはしません。しかし、私たち人間が、不完全ながら、惜しむことなく、見返りも期待せず「与える」ということをしますと、ご自身を何の惜しみもなく与え、へりくだられた神様の気持ちが、ほんの少しわかるのです。神様のお気持ちってこうなのか―そういうことが、本当に少しだけですが、わかるのです。ですから、すがすがしいのです。やる気が出てくるのです。

聖書の「与えなさい」―ひとつの答え

 さて、ここまできますと、冒頭で出しました問題の答えが、見えてきます。「与えなさい」―そう勧められるとき、与えるべきものは何なのでしょうか。それは自分の体重が掛かっているもの、自分が存在を掛けて頼っているもの、自分が価値を置いているものです。つまり、突き詰めれば自分自身です。
 ここで急いで、付け加えておく必要があるのは、与える相手のことです。何に対しても誰に対しても与えるのは、非常に危険です。今朝、NHK朝の連続ドラマを見ていましたら、戦争中のことですが、主人公の陽子さんがお見合いをしている場面がありました。お相手はお蕎麦屋さんのせがれなのですが、徴兵され、お国のために身を捧げる覚悟でおりまして、出征する前にお見合いをし、結婚したらすぐに戦地に赴こうとしている人なのです。むごい話です。国家だとか、場合によっては大きな企業や組織が、「与える」という本来善い行為を利用したり、悪用したりするときには、「与える」ことを拒否しなければなりません。
 与える相手は、利用したり悪用したりしない相手でなければなりませんが、その相手に与えるのは、突き詰めれば自分です。
 では、自分自身を与えると、何が与えられるのでしょうか。与えられるのは、神様の気持ちです。ほんの少しですけれども、神様の気持ちが与えられるのです。そうすると、神様のすがすがしい気持ちがほんの少しわかって、元気が出てきます。

新島の生き方

 我らが校祖・新島襄は「与える教育」を説きました。説いただけでなく、新島自身、奉仕の精神をもって、キリスト教のため、キリスト教の学校のため、大学の設立のため、ひいては日本人の教育のために、自分自身を捧げ、国中を奔走して命を縮めたのでした。自らも「与える」人生を生きて、「受けるよりは与える方が幸いである」という聖書の言葉を、実際に身をもって証した人だったと言えます。
 自ら「与える」ことによって、新島もすがすがしい気持ちで生きました。体は弱かったのですが、元気よく、神様の気持ちを少し分けてもらいながら人生を走ることができました。
 新島が亡くなって葬儀が行われたチャペル前に、一本の幟が立ちました。その幟には勝海舟が揮毫(きごう)した言葉がありました。「彼等は世より取らんと欲し我等は世に與へんと欲す」。この幟の言葉は、新島の人生を総括する言葉として本当にふさわしいものでした。
 私たち同志社に関わる者も、「与える」という同志社の理念を丁寧に味わい受け止めて、豊かな教えとして引き継いでいきたいものだと思います。

2011年6月1日 同志社スピリット・ウィーク春学期
今出川水曜チャペル・アワー「奨励」記録

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